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犬耳と猫耳

おやつは悪霊退治の後に

きゅん

見えない涙は雨のにおい

恋のため息はイチゴ味

らくがき2

Win-Win

自分の手で摘み取ったんだ

お姉ちゃんになった日

心臓をつなぐ指輪

 

 その恋は罪だった。共犯にするつもりはなかった。その環が薬指にあるだけで幸せだった。愛するものと繋がる、たったひとつの証。
 それが左手から失われた今もなお、精神の最も暗いところに絡みついた恋慕は呪いのように抜け落ちない。あるべきでないその感情だけが、彼の中に絶えずあふれていた。
 だからダンテは告白した。それが異常なものだと分かっていた。
 病棟に詰められた廃人の、たわ言だと思われてもかまわない。吐露してしまいたかったのだ、今まで秘していた過ちを。

「……今でも好きなの?」

 彼の自供じみた告白を聞いたカリュオンが問う。表情には常のような笑みはひとかけらもない。ダンテが無言で頷くと、カリュオンは微かに眉尻を下げてうつむいた。

「そっかあ。じゃあ僕は失恋だ」
「え?」

 ダンテが目線を上げると、その動きだけで白い寝台に横たわる傷だらけの身体がきしむ。指環をなくしたダンテの手を握りしめて、カリュオンは真剣な顔で約束した。
 必ず貴方の記憶を取り戻す、と。

 カリュオンにしてみれば、彼の記憶の復元は必ずしも正しいことではなかった。それは即ち、目の前で愛するものが切り裂かれた場面を思い出すということだから。むごい現実なら直視しない方が幸せなのかもしれない。
 それでも、カリュオンは歩みを止めようとはしなかった。それが彼の積年のテーマだったし、おおげさにいえば己に課せられた使命なのだと信じていた。

---

「うーん……」

 一枚の紙を見ながら、研究者の腕章をつけたカリュオンは歩いていた。
 穏やかな陽光が射す広々とした廊下。昼休憩を終えた学生や研究員が活動し始めてにぎやかだ。
 そこでカリュオンはよく知る声を聞いてぱっと顔を上げた。生徒たちが囲む中心に車いすを認めて、「オジュエさん」と呼びかければ、周りにいた少年少女たちの目線がこちらに向く。カリュオンを見ると、礼儀正しく一礼するものもいれば、そそくさと遠巻きに避けるものもいた。
 オジュエと呼ばれた初老の男は彼らとの談笑を切り上げ、車いすを動かそうとしたので、カリュオンから歩み寄り笑顔で挨拶をかわす。

「お久しぶりですね、オジュエさん。お元気そうでなによりです。……グランツくんは?」

 オジュエは現地調査員で、この研究施設に訪れる頻度は高くない。彼にはいつも傍に付き添うグランツという名の少年がいる。おそらく一ヶ月前にも会ったはずだが、カリュオンはそのときのことを断片的にしか思い出せない。

「グランツは私の部屋だよ。あの子はここが苦手だからね。カリュオンくんは珍しいね、今日はお休みなのかな?」
「ああ、そうなんです。ちょっと買い物に行こうと思って」

 カリュオンはシンプルな私服姿だった。耳や手首につけた飾りは実用性重視の魔道具ばかりで、年頃の青少年が好むような洒落たものではない。ここの研究員の多くがそうであるように、彼も身だしなみには頓着がなかった。黒い髪に寝ぐせがついていないのも、彼の同居人が櫛をいれてくれたお陰だろう。
 夜遅くまで研究に打ち込むあまり、昼間うつらうつらしている場面をオジュエは何度か目撃している。けれど今日のカリュオンの真紅の瞳はいつになく清に光り、微笑んだ表情にもどこか引き締まった印象を感じる。

「そうだ。オジュエさん、今から時間ありますか? 良ければ相談に乗ってほしいんです」
「いいよ。研究のことかい?」
「いえ、じつはこれから指輪を買いに行くんです」
「指輪?」
「はい。それで、アクセサリーショップってどこなんですかね、これ」

 カリュオンは持っていた紙ぺらを笑顔で差し出す。この地で最大級のサイエンスシティであるこの場所は、学園と研究所以外にも多様な公共施設が広大な敷地内に建設されている。大抵のものは外に出なくても揃う。その紙は敷地内にあるショッピングモールの地図だった。彼の方向音痴っぷりを知るオジュエは小さく笑い、じゃあ一緒に行こうか、と言った。

「でも、どうして指輪を?」

 この施設で開発された自動で走る車いすに腰掛けながら、オジュエは地図を見つつ尋ねた。

「プレゼントするんですよー、ダンテに」

 ゆるい微笑みでカリュオンは頬を掻く。オジュエは彼らの事情を知っていたので、「彼の指環の代わりに?」と踏み込んだ。カリュオンは笑顔で、「あの指環の代わりになるものなんてないですよ」とかぶりを振る。

「つい最近、ダンテからお願いされたんです。指輪が欲しいって。指輪なんて渡したら、余計に苦しくなるんじゃないかと僕は心配したんですけど……でも、二十年です。二十年経っても、彼はずっと、左手のあの指を見ているんです」

 昼下がりのショッピングモールで、客たちは思い思いの買い物をのんびりと満喫していた。研究所や学園内は関係者しか立ち入れない決まりだが、こういう施設はだれでも利用できるので周辺住人も気兼ねなくやってくる。吹き抜けの天井から陽の光が降りそそぎ、楽しげに行き交うひとびとはみんな幸福そうに二人の目には映った。

「それで、僕に選んでほしいって言うんです。指輪を。ダンテには喜んでほしいけど、いざ指輪をつけたらつらくなるかもしれないし……でも、とにかく悩んでるより玉砕覚悟で渡してみようかと思って」
「愛の告白みたいだね」

 オジュエが肩をすくめて笑うと、「そうでしょう」とカリュオンも笑って否定しなかった。

「でも、このお店の指輪はけっこうなお値段するんじゃないかな?」

 地図の目的地を差しながら指摘すると、カリュオンは目を丸くして首を傾げた。

「ゆびわってそんな高いものなんですか?」

 本来ならオジュエの方が長身だが、車いすに座っているのでカリュオンを見上げる体勢になった。
 オジュエは閉口して、アクセサリーショップに世間知らずの研究員を連れて行った。自分の給料も研究に注ぎ込んでしまう彼はその値段を確認すると、いたく衝撃をうけて、すごすごと店から出てくるはめになった。

「……まさかあんなにお高いなんて……」
「まあ、こういうのは値段よりも気持ちだから……もう少しお手頃なところに行こうか。ところで予算はどのくらいあるんだい?」

 カリュオンはポケットから財布を取ると、全財産の金額を告げた。オジュエは笑顔で、

「諦めようか」

 と諭した。

「そんなあ!」
「だってきみ、余計な出費したら生活できないじゃないか。きみひとりが飢えるならまだしも、今はダンテさんと暮らしてるんだろう。プレゼントはいいけどね、もう少し現実的に考えようか」
「大丈夫、ダンテの分は本人が管理してます。僕が生活費を研究に回しても巻き込まないようにしてるんで!」
「きみの財布の管理も任せた方がいいと思うなあ……」

 苦笑しながらため息をついたオジュエはふと、カリュオンの耳元で控えめに光るイヤーカフに目を留めた。魔力を体内に溜めにくいカリュオンの体質を補助するマジックアイテム。
 それを見たオジュエは、プレゼントの一つも買えない金欠の研究員にひとつ提案した。カリュオンは笑顔でそのアイディアを頂戴し、すぐさま自分の研究室に駆け足で戻って行く。
 その良くも悪くもひたむきな姿に笑みをこぼし、オジュエも自室に引き返すことにした。部屋に置いてきた待ち人の機嫌をなおすのに、なにか美味しいものでも買って帰ろうと考えながら。

「ダンテ、ただいまっ!!」

 施設内には学生寮もあれば研究員の私室も用意されている。そのうちの一部屋で、カリュオンとダンテは生活をともにしている。カリュオンは研究員として、ダンテは被験者として。
 ダンテはだいたい室内で自主的にトレーニングしており、今も部屋の一角に設置したマシーンで鍛錬している最中だった。汗みずくの首筋をタオルでぬぐいながら、息せき切って飛び込んできたカリュオンを出迎える。長年鍛えている長身のダンテと並ぶと、小柄で細身のカリュオンは学生のように見えてしまう。
 カリュオンはなにか言おうとしたが、研究室から全力疾走してきたせいで呼吸が追いつかない。興奮気味のカリュオンを椅子に座らせて、紅茶を注いでやってから、ダンテは汗を流してくると言って一旦シャワー室に入った。

 紅茶をちまちま飲んで落ち着いてきたところで、ダンテがリビングに戻ってきた。髪を乾かすのを忘れて毛先からぽたぽたと雫を床に落とすカリュオンとは違い、ダンテの赤みがかった茶髪は浴室から出るときにはもうさっぱりと水気が拭きとられている。
 ダンテが対面に腰を下ろすと、カリュオンが身を乗り出して口を開いた。

「あのね、ダンテにこれあげる!」

 血色よく紅潮した頬を緩めて、カリュオンは手のひらに指輪をのせて差し出した。細かな傷がついた銀のリングには、はちみつ色の宝石がちんまりと飾られている。

「これさ、僕の魔導具のひとつなんだ。これには魔力は宿ってないし、きみの持っていた指環とは比べ物にならないけれど……煩わしかったら外しちゃってもいいからさ。もし、指輪をつけてる方が安心するなら、後でちゃんとしたのをプレゼントするよ」

 カリュオンはさまざまな形状の魔導具を収集している。その中にもう使わない指輪の形のそれがあった。魔力を注げば威力が倍増するという代物。だが、ダンテが生まれた日から持たされていた指環とはちからの次元が違う。

「ほんとは新品のぴかぴかのやつをプレゼントしたかったんだけど、ごめんね。こんなぼろっちいので」

 ダンテは常と同じく表情の乏しい顔でまじまじと指輪を見つめていた。カリュオンは優しくダンテの右手を引き寄せる。筋肉質な腕は容易くカリュオンの細い手に導かれた。
 その肌に触れると、二十年前よりもよっぽど逞しくて、やるせなさに胸が詰まる。おそらくもう二度と戦場に出る日は来ないだろうに、彼は変わらずに自らを律し続けている。彼の規則正しい生活を見ていると、その生真面目さは記憶を失う以前からそうなのだろうと思う。
 その彼が、唯一犯した禁忌。十五歳だった彼の恋。

「……好きだったんだ」

 初めて対面したのは病院の個室。ダンテは全身のあらゆる箇所に包帯を巻き、白いベッドに横たわっていた。頭の近くに据えられた医療機器が規則正しい機械音を刻む。
 ――失われた記憶の復元。カリュオンが研究する目的はそれだ。
 記憶喪失の患者からヒントを得られないかと思い、二十年前カリュオンは彼の病室を訪ねた。しばらく通ううちに、少しずつ変化していった。研究のために会うのではなく、ダンテのために研究をすすめた。

「好きになってはいけないと、分かっていた。人でないどころか、生きてもいない相手だ。本人は雄だと言っていたが、実際のところ性別もないだろう」

 カリュオンの指先が指輪の宝石を撫でる。そこには魔力もなければ温かみもない。
 しかし、ダンテの愛した指環には宿っていた。命と呼ぶには不確かな、“霊獣”という存在が。
 ダンテに残された記憶は、自身が“霊獣師”であったこと。
 その霊獣に、恋をしていたこと。
 他のことは今も思い出せない。彼の指環に宿っていた、あんなに恋焦がれていた霊獣の名さえも。

「……それでも、好きだったんだ」

 壊れた実物の指環を見せたことはないし、それを失った経緯も覚えてはいない。けれど、おそらく彼は、すでに愛するものはこの世にいないと勘付いている。
 肉体の一部として存在していた指環はきっと、彼の心臓とつながっていた。それくらい大切なものと直結していた。そのつながりを絶たれた彼の心身が、正常に機能できなくなるほどに。

「……やっぱり、指輪を見るのはつらい?」

 ダンテの碧眼は指輪をじっと見つめていた。霊獣を使役する際は瞳が金色になるらしいが、当然カリュオンは一度として見たことはない。
 霊獣を扱うには、生まれた直後から非人道的な鍛錬に耐えねばならず、その血筋の者であれど過酷なあまり命を落とすこともあれば、自ら命を絶ったものも数知れないという。ダンテは父と兄にしごかれて優秀な霊術師に成長し、十五歳という若さで騎士団に所属していた。そこで己の霊獣と日夜戦い続けてきた。二十年前、邪神が王都を襲撃したときも。

 あの日、蒼い竜の邪神が突如あらわれて都市部を破壊し尽くしていった。人間の王も、魔族の王も、ダンテの父も兄も、騎士団の仲間も、みんな死んでしまった。ダンテの指環は宝石が砕けていた。
 その中で、ダンテだけは重傷を負いながらも一命を取り留めた。普通、霊獣師が倒れることはあっても指環が破損することはない。現にダンテの父はどこが左手の薬指だったのかさえ分からなくなっていたのに、指環は無傷だった。

「……ありがとう、カリュオン」

 なにも宿らない指輪を、ダンテはそっと指につけた。左の薬指に――ではなく、小指に。

「気を遣わせてすまないな」
「ううん、良かった。でも無理しないでね」

 ダンテはかすかに目を細めて頷く。カリュオンも安心して頬から力を抜くと、ちょうど腕時計が電子音を鳴らした。胸ポケットから手帳を引っ張りだして、カリュオンはこの一時間の出来事を詳細に書き記す。
 ――たとえ凄惨な過去だとしても、カリュオンは取り戻したいと願う。数時間前のことすらふいに取りこぼしてしまう体に生まれたカリュオンは、そのむなしい暗さを知っている。だからこそ、彼の中に巣食う大きな空白を埋めたいと思う。たとえそれが失われた存在であっても、禁じられた恋であっても――忘れることが、救いになるとしても。

「でも、やっぱり薬指につけるのは抵抗あるんだね?」

 カリュオンがにこにこしながら意地悪っぽく指差すと、ダンテは左手を広げて見せた。小指にぴったりとはまる指輪。薬指の第二関節は小指よりも太い。

「……あ、そっか。サイズが合わないのか……!」

 指輪のサイズにまで気が回らなかった研究員は納得して手を叩いた。

 

小さな姉と大きな弟

瞳の温度

9,リントとジル

 たとえば、人混みの中でも貴方を見つけられること。

「あ、ロイズさん!」
 自警団員は皆同じ制服を身に着けている。それでも人波の間から見えた背中が誰なのかジルは直感的に分かった。
 ロイズの視線がさまよい、買い物袋を抱えたジルとリントを捉える。見張られた青い目が和らぐ。
「ああ、ジルか。リントと一緒に買い出しなんて珍しいな」
「お屋敷で晩ご飯を一緒に食べるんです。あ、ロイズさんも良かったら……」
「ジル」
 晩食を誘いを遮るようにリントが短く呼びかけて首を横に振った。不思議そうに目を丸くするジルに、ロイズは苦笑しながら後頭部を掻く。
「悪い、今日は用事があるんだ。また今度な」
「あっ、そうなんですね。分かりました」
 ジルは慌てて頭を下げる。その金髪を撫でて微笑み、ロイズは片手を揺らして人混みに消えていった。
「……自警団のお仕事がまだ終わってなかったんですかね」
「今日は後輩に会いに行くんだと思う」
 リントは再び歩き出しながら言う。その後を追いながらジルは目を瞬かせる。
「後輩さん? 自警団で集まりでもあるんですか?」
「……つい最近、その後輩が森で魔物に襲われてさ。一命は取り留めたんだけど、精神的にヤラれて完全に正気を失ってるんだ」
 表通りから抜けて、屋敷に続く入り組んだ狭い路地を進む。人波でも小路でも、リントの歩調が乱れることはない。ジルは何となく足取りが重くなって、引きずるように早足で進んだ。
「……その方のお見舞いに行かれるんでしょうか」
「違う。看取りに行くんだ」
 ジルは一瞬呼吸が詰まった。狭苦しい路地は薄暗く、目の前の白衣姿の背中はどんどん遠ざかっていく。
「自警団に所属する団員は予め家族と本人に確認を取っている。“そうなったときどうしてほしいか”を」
 顔から血の気が引いていくのをジルは感じた。自分が歩いているのか立っているのかも分からなくなる。
 正面を向いたまま歩いていたリントがようやく立ち止まり、呆然と立ち尽くすジルに振り向いた。
「……どうして」
 ジルの足元には買い物袋が落ちて中身が転がり出す。伏せられた瞳から大粒の涙が溢れる。
「……どうして、リントさんは……そんな、平気でいられるんですか」
 いつもの調子で無表情に近い顔つきのまま話すリントが、ジルからはとても遠くに立っているように感じられた。実際はほんの数歩の距離で、リントは顔色一つ変えずに買い物袋を拾う。
「だって、本人が選んだ生き方だろ」
 もし幼馴染が“そうなった”ときも、彼は今と変わりない顔でいるように思えてジルは心苦しかった。だって、本当はそうでないと知っているから。なのに、どうしても今のジルには紅い瞳から温度を感じ取ることができなかった。